【概要】
題名「悪徳の栄え」
  「悪徳の栄え(続)」
原作「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」
著:マルキ・ド・サド
訳:澁澤 龍彦
出版社:現代思潮社

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[ストーリー概略]
ジュリエットという女性が、その人生のすべてを悪逆非道な行いで彩っていくストーリー。殺人、性交、拷問。様々な悪徳によって彼女は栄えていく。


【詳細】
ここでは、私とこの本との出会いから、読書後の感想までを様々に記述する。


①本との出会い
この本は、とある古本屋で私の目に留まり、そのまま購入した本である。確か中学生か高校生の時だったと思うが定かではない。

マルキドサドの名前は何となく知っていた。ボーカロイドの楽曲の中に歌詞の一部として入っていたからだ。ただ、彼がどのような人物であるかは知らなかった。ほんの好奇心ではあるが、その本を購入したいと思い、実際に自分のものとした次第である。


②読書時の感情
この本を読み始めて、私はすぐにどのようなコンセプトなのか気づいた。要は、サドの名にふさわしいあらゆる残酷さを楽しむための書籍である。それこそ「異常性癖」と呼ばれるような、マイノリティの嗜みだ。

読んでいくうちに分かったが、私はサディストではなかった。つまり、この文章の中で起こる一連の残虐を、許容することができなかったのである。創作の世界であるとしても、理不尽な拷問や悲劇に対して、怒りが腹の底で煮えたぎっていく。そのくらい緻密な描写と、私では発想できないような阿鼻叫喚がそこにはあった。

しかし、原文が良いのか翻訳が良いのか、話の続きが気になってしまう。やり場のない怒りと悲しみを孕みながら私は読み進めた。全2巻あるこの話だが、勢いに任せて半日もかからず読破した。そしてその後も、一気に読み返すことが3、4回あった。
読み進めている中で、事の心理を突いたような文章もあった。続巻のp59-70では、当時の法律というしがらみが如何に人の多様性を阻害する要因であるかや、そしてこの世で「私」という個人がいる限り、決断や善し悪しは「私」によって決まる、ということなどが長く語られている。

私は今のところ無法者では無いと思うが、法律が完全な正義であるとは思わないし、どのような規則や社会的思想があったとしても、最後に何を実行するかは個人の胸三寸だと思っている。つまり、私の思考と作者の思考が合致したのである。

前述のように、私は残酷さについて楽しむよりかは胸を痛めることが多い。しかし、私と相反すると思っていた事象の中に納得出来ることがあったのである。そうなると、単純な拒絶というのは感情に矛盾する。苦手なはずなのに好意を持っている状態なのだ。

それに気付いた時、少しなら受け入れられる気がした。私が「悪」だと感じたものは、誰かにとっての「正義」である。


③読書後に考えたこと
さて、この本は最初から最後まで悪徳が栄えて終わる。「悪」こそが「正義」であり、法なのである。

読書後に調べて知ったことだが、マルキドサドはそのマイナーな趣味の為に何度も投獄されているそうだ。しかし、私の調べた限りでは、それは違法さが理由ではないらしい。単純に、「サディスティック」なことを好む部分を「危険である」と判断されたという。違法でないにもかかわらず、ただ残酷な物語を好いているだけで迫害の憂き目に遭う。サディズムでなくとも、現代に存在するマイナーな趣味に対しての忌避と似通っていると感じられた。

私は、この本について一つの結論を持っている。それは「自分の狭量さを思い知るための本」だった、という結論である。

私はできるだけ様々な人を尊重するべきだと考えている。私が個人である以上、不可能な局面も少なくないが、簡単に他人を否定することに懐疑的である。それゆえ、私が「悪徳の栄え」を目の当たりにした時に沸き起こった感情を思い返すと、どうも私という人間は、自分が思っているほど寛大ではないのだと感じた。更に、マルキドサドの投獄について知った時など、「投獄する側の気持ちもわかるなぁ」と薄々思っていた。この感想のどこが人を尊重しているのだろうか。

確かに、自分の感性では理解できない物事はある。しかし、それが存在すること自体への怒りや不快感は、分けて考えなければならない。未知を知るたびに何かしらの感情が湧くが、それが良くないものであった場合、悪戯に相手へ向けてはならないだろう。

このような考え方は最近ではよく見かけるし、啓蒙されていることも多い。しかし、それを意識し守っていくにしては、危うい場面が多々ある。私がこの本を読んだ時もそうだった。幸い他人に発信することはなかったが、「サディズム」というジャンルを多少なりとも否定的に考える要因になり得たのである。

まだ子供だった私には、今より多くの未知が存在していた。その中でこの本は、それらとの付き合い方を再確認させてくれたのである。


③終わりに
私が「サディズム」という未知を知る要因になった「悪徳の栄え」は、単純に残虐な物語を提供してくれるだけではなく、私の思考に新しい見解をもたらしてくれた。最後に、偶然この本を扱っていた古本屋や、出版に携わった全ての人々、この本を手放したどこかの誰か、そして原作者のマルキドサドに深く感謝を申し上げる



ここまで読んでくださったあなたに、心からお礼申し上げます。

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)
マルキ・ド・サド
河出書房新社
1990-10-01

悪徳の栄え 下 (河出文庫)
澁澤龍彦
河出書房新社
2013-02-15